偉大な映画監督が旅立った。
偉大な映画評論家も続いた。
これからの映画は、大きく変わっていく。時代はそれを予感していたのかもしれないが、
誰も映画のこれからなんて考えていなかったその年、
僕は、映画製作チームを作ろうと思っていた。
1998年。
僕は映画監督になりたかった。親友は企業家になりたかった。
そして、1999年、ひとつの映画を創り上げて、僕と親友はチームを発足した。
『CINEMA FACTORY』
集まった仲間たちと付けた、チームの名前だ。
映画屋になる。
僕たちは、夢を掲げて走り出す。
ノストラダムスの大予言が、見事にハズれたおかげで、
チームは21世紀になった今も、映画を創り続けている。
いつの間にか、映画しか創れなくなっていた。
「“映像”を作ってほしい」
そういう依頼がいくつかあった。CM、PV、記録映像。
はじめのうちは、勉強だと思って色々やってみたけれど、
いつも何かが「違う」と感じてしまう。
映画以外の映像を作るときは、違和感を覚えてしまう。
そして、わかった。
僕たちは、映画しか創れないんだと。
たとえ、15秒でも、30秒でも、
3分でも、1時間でも、
僕たちの創るものは、映画だけ。
映画しか創れない。
だから映画だけを、創り続ける。
そんな僕たちに、どんな未来が待っているだろう。
何のために、映画を創るんだろう。
好きだから?
面白いから?
得意だから?
それもあるけれど、いちばんの理由は、
僕たちにとって映画は「人生」
そのものだから。
僕たちは、たくさん映画を観る。
映画の中には、たくさんの人々が描かれている。
たくさんの出来事、たくさんの思い。
そしていつも、心を揺さぶられる。
容赦なく起こり、人々を巻き込む出来事に、
悲喜こもごもの思いに、
決断に。
そして、生きざまに。
映画は確実に僕たちのこころの中に入り込み、
震わせ、立ち止まらせ、考えさせてくれる。
映画で世界を変えられるか。
そんな問いがあったとしたら、
迷わず、Yes、と言いたい。
僕たちの創る映画も、誰かを立ち止まらせ、考えさせ、
心を揺さぶる。
それが小さな小石となって、世界に波紋を広げていくのだ。
この世界で起きるどんな問題も、
僕たちは映画の中に描き出してゆく。
世界を、ちょっぴりでも、変えるために。